2008.09.16 09:30

岡崎宏司の考察と結論
フォード マスタングコンバーブル

遊び心が介在すれば、
マスタング・コンバーチブルは受け容れる


 私はアメリカが好きだ。とくに青春を過ごした1950年代から60年代にかけてのアメリカ好きはハンパじゃなかった。

 ハリウッド映画を見て、アメリカンロックを聴いて、ハンバーガーに食らいつきながらコークをラッパ飲みして、マールボロやケントを吸って、読めもしないのにアメリカの雑誌を買って、Tシャツとジーンズが普段着でアイビーが正装……すべてがアメリカ発で埋め尽くされていた。もちろん、クルマもアメリカ車に憧れていた。大きなテールフィンをもった50年代後半のアメリカ車は、私にとって、まさに「ドリームカー」だった。

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 学生時代、必死の思いで中古のドリームカーを手に入れたが、歓びもつかの間、あまりの金食い虫ぶりに大金欠病を患い、数ヵ月で手放す羽目になってしまった。でも、この数ヶ月の想い出は私の宝物になっている。

 もう一つ、私にはアメリカ車に関わる想い出の宝物がある。1964年、初めてアメリカに行ったとき、レンタカーで借りたマスタングの想い出だ。

 できればコンバーチブルを借りたかったのだが、予算上そうもゆかず、結局いちばん安い6気筒のハードトップを借りた。

 でも、ボディカラーはレモンイエロー。いちばん好きな色が借りられたし、LAをマスタングで走る日々は夢そのものだった。

 64年から66年まで生産された初代マスタングは約130万台を売り、超ベストセラーになった。しかし、その後のマスタングは若さと魅力を失い、とくに1970年の3代目以降、人気は急落した。

 そんなマスタングだが、2006年、再び輝きを取り戻した。実に36年もの時が過ぎていたが、初代のDNAをタップリ受け継いだ、若々しく、魅力的なマスタングが帰ってきたのである。

 エクステリアだけでなく、インテリアも若さを取り戻し、今風の薫りをプンプン漂わせながらも、かつてマスタングに憧れた人たちをも惹きつけている。なかでもコンバーチブルがいい。ヨーロッパのコンバーチブルにはない、大らかな派手やかさが私は好きだ。

 最近、マスタング・コンバーチブルで湘南海岸を走ったが、オーディオのボリュームを上げめにしてゆっくり走った。

 強力なV8を積んでいても、アメリカン・コンバーチブルは、ゆっくり走るのが性に合っているし、そうするのが心地よい。

 私はサンタモニカが好きで、LAで休暇を取るときのベースはたいていサンタモニカを選ぶ。そして、オーシャンフロントの部屋を予約し、コンバーチブルを予約する。

 サンタモニカを通るコーストハイウェイ(太平洋岸沿いのハイウェイ)は、オープンを楽しむ条件が揃っており、美しいビーチやいい雰囲気のレストランも点在する。

 だから、サンタモニカに行くと、ほとんど日課のようにコーストハイウェイを走る。

 とくに夕暮れ時、太陽が海に沈みかける頃の雰囲気は最高だ。

 時々、パロスベルデスの岬の突端まで足を伸ばすこともあるが、断崖絶壁の上からの夕景がまた素晴らしい。

 そして、海を見下ろす高台にあるスターバックスに寄り、屋外のテラスでカフェラテを楽しんでからサンタモニカに戻る。
 

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 今回ご紹介するのは、V8・GTのコンバーチブル。ソフトトップは、フロントウィンドウ左右のロックだけは手動式だが、あとは電気モーターで開閉する。昔のオープンモデルは、雨漏れ対策用雑巾の用意は必須だったが、もちろん今のオープンモデルにそんな必要はない。マスタングのそれも耐候性はいいし、ハイウェイスピードでの風音もよく抑え込まれている。雨も会話も音楽も楽しめるということだ。

 大柄な4人はちょっときついが、大人と子供の4人なら長距離も快適である。前席にご夫婦、後席に子供……こんなコンビネーションで、美しい海岸通りや山間路をオープンでゆったり走るシーンは素敵だろう。

 ビジネス・スーツはさすがに馴染まないが、フォーマルに装い、オープンでパーティ会場に乗り付ける……こんな行為はしっかり馴染む。どんな行為であれ、装いであれ、そこに遊び心が介在すれば、マスタング・コンバーチブルは受け容れるということだ。

 V8は洗煉された回り方をするが、同時にアメリカンV8らしい底力のある音を聞かせてもくれる。強い力でグイッと背中を押されるような出足もまたアメリカンである。

 乗り心地は、リアからやや硬めの感触が伝わるが、私はOKサインを出す。身のこなしも素直で、気楽に楽しめる。

 欧州車ばかりがモテル中、マスタング・コンバーチブルとエクスプローラー・スポーツ・トラック辺りをガレージに並べる……かなり強力なカウンターパンチになりそうだ。

 

(『@ZINO』2007年掲載記事)